洛中庵 の日記
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「逸脱した事例」が指し示すこと
2015.10.05
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先日の日記(2015/09/30『がんが自然に治る生き方』)の続きです。
この本の〈はじめに〉の中にこんなくだりがあります。
〔寛解症例の研究に着手してまず驚いたのは、1000件超の医学論文において、二種類の人々がほぼ黙殺されていたことでした。
一つは劇的に寛解した患者本人の一群です。
劇的な寛解を遂げた患者の身体の生化学的変化については、何本もの論文が詳細に記していました。しかし、患者に「あなたは自分がなぜ治癒したと思うか」と聞き、その答えを記したものは皆無だったのです。
医学論文で黙殺されていたもう一群は、代替療法の治療者たちです。がんからの劇的な寛解は、当然のことながらほとんどの場合、現代医療では打つ手がなくなった患者に起きています。それなのに、西洋医学外の治療者や代替療法の治療者たちががん治療にどう取り組んできたのかを誰も調べてきませんでした。この事実にわたしは驚きました。〕
医学論文に限らず、実際の臨床の現場でも、ほとんどの医師は劇的な寛解を成し遂げた患者の体験談や医師以外の治療者の取り組みについては黙殺します。この事は洛中庵のクライアントの事例(がんに限らずその他の難病の劇的な寛解についても)を通して私自身も度々経験しています。
医師と患者双方にとって大変不幸で残念な事だと思っています。
所謂、逸脱した事例の中にこそ行き詰まっている現状を打破する可能性があるはずです。
これは、本の中の〈おわりに〉の中にある言葉、
〔本書に登場するがん生還者の軌跡は、非常に稀な、通常は起こりえない「逸脱した事例」と位置づけられるものです。読者のみなさんに、この「逸脱した事例」が研究に値すると思っていただけたらうれしく思います。
歴史をひもとくと、数多くの画期的発見が、逸脱事例の研究から始まっています。ペニシリンやX線、心臓ペースメーカーなどもそうでした。〕
同感です。
《 あなたが あなたらしく 輝くように! 》
〈杉浦次郎〉