洛中庵 の日記
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8月に思うこと
2011.08.06
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今日(8月6日)は広島原爆忌。 8月はこの後も長崎原爆忌、終戦記念日等、先の大戦にまつわる数々の鎮魂慰霊の日が続きます。お盆の行事も重なり、8月は正に"鎮魂慰霊の月"と呼んでもよいように思えます。
非常に多くの方々の尊い命の犠牲の上に今の自分があると思うとき、犠牲となられた方々の分まで、自分なりに今を一生懸命生きなければ、という思いにかられます。
私が中学生の時に亡くなった実母は21、2歳の頃(昭和19年~20年)、当時東洋一の規模と言われた豊川市の豊川海軍工しょうで働いていました。広島に原爆が落とされた次の日(明日8月7日)に豊川海軍工しょうは大空襲に会い壊滅しました。
母は偶然にも、実家の静岡県三ヶ日町に帰省しており、命を落とさずに済みました。
毎年今頃になると、子供の私に豊川の大空襲の話を語ってくれました。何度繰り返し聞かされたか分かりません。
母の口癖は、「私だけ生き残ってしまった…」でした。工場の寄宿舎のお仲間のほとんどが命を落とされたそうです…(工場全体の犠牲者はおよそ2500名)
子供心に「命を落とされた方々の分まで生きる」という母の強い思いを感じていました。また、今から思えば、まだ子供だった私にも、将来その思いを引き継いで欲しいと願っていたようにも感じられます。
8月を鎮魂慰霊の月であると同時に、亡母の遺志を継ぎ、「空襲で亡くなった方々の分まで生きる」、という誓いを新たにする月にしょうと思っています。
〈杉浦次郎〉
