洛中庵 の日記
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京都でも大地震が発生しています
2015.03.10
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私も含めて多くの京都人は、他の大都市に暮らす人達に比べると、大震災に対する心構えと言いますか、防災意識がどうも低いように思います。(私だけなのかもしれませんが…)
先月の新聞の電子版にこんな記事がありました。
■「方丈記」の大地震跡、京大が発見 東山の植生に影響か
(朝日新聞)
平安末期に京都を襲った大地震で起きたとみられる土砂崩れの跡を京都大防災研究所の釜井俊孝教授(応用地質学)らが京都・滋賀の東山で見つけた。地震の惨状は「方丈記」や「平家物語」などに描かれ、今回は記述を具体的に裏付ける珍しい発見。東山一帯の山林はその後荒廃し、マツタケがはえるアカマツなどの植生にも影響したようだ。
この地震は、壇ノ浦で平家が滅んで間もない1185(元暦2)年に起き、京都を中心に大きな被害が出た。規模は推定マグニチュード7・4。琵琶湖西岸の活断層の一部が動いたと見られている。
当時京都で暮らしていた鴨長明(1155~1216)は「山は崩れて、川を埋め」「地が動き、家が壊れる音は雷と同じだ」と方丈記で描写。方丈記では大火事や飢餓などの災厄を取り上げ、人の営みを川面の泡のようだと無常観をつづっているが、地震こそ最も恐れなければならないものだと指摘した。平家物語も「大地さけて水わき出(い)で、盤石われて谷へまろぶ」と記している。
釜井さんらは、京都市街地の東に連なる東山の谷など20近くの地点で地層を調べ、過去6回の土砂崩れの跡を確認。3回目は特に広範囲で厚さが1~2メートルほどもあり、直下の地層の年代から12世紀後半に起きたと分析され、元暦地震が原因と推定された。
地震考古学者の寒川旭・産業技術総合研究所客員研究員は「近世以前の地震の文献は少なく、実際に痕跡が見つかるのは珍しい。方丈記にはどこで土砂崩れが起きたか記されていないので、地震の状況を把握できる貴重な発見だ」と話す。
この地震は山に生える植物にも影響した可能性がある。釜井さんらは地層に含まれる花粉も分析。元暦地震直後の土ではマツ約60%、広葉樹のコナラ20%弱の割合だったが、14世紀から16世紀初めの地層ではマツが約80%を占めていた。
民俗学者の柳田国男は約70年前、日本で人気のマツタケが室町期以前の日記などの文献に「めったに現れていない」と著書で指摘。平安後期の「今昔物語集」には広葉樹に生えるヒラタケがよく登場するため、京都周辺のマツタケ山が近世に急に取りざたされるようになったことを「妙なこと」と記していた。
マツタケが生えるアカマツは荒れた土地に強い。釜井さんは「地震の山崩れに加え、その後の復興や戦乱で多くの木が切り出され、山がアカマツばかりになったのではないか」と話す。(阿部彰芳)
平安時代の末期に京都でかなり大きな地震が発生したことは確実なようです。
また、安土桃山時代には、伏見城天守や東寺、天龍寺等が倒壊し、1000人以上の死者が出たと記録される慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)(1596年)
も発生しています。
長い歴史から見れば、京都も大震災の被害から免れていたわけではないのです。
油断大敵。
3月11日、東日本大震災の日を前にして大地震への備え、心構えを再確認しています。
《 あなたが あなたらしく 輝くように! 》
〈杉浦次郎〉